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老いと付き合う<純真な学習態度> [行く道だもの]

 先月、古文書サークルに入った。10人ほどのお仲間のうち、62歳の私は最年
少だ。最高齢の方は90歳を過ぎている。仲間の方はどなたもそれなりに元気で
ある。

 サークルでの活動は、最近感動した出来事の紹介やら、自身の興味ある分野
の発表やらで始まり、次に候文の練習(ほとんど漢字からなる文章を訓読する)、
そして、古文書の読み、読解と進められる。

 皆さんよく勉強なさっているから、進行係からの音読のご指名を待っている方
が多い。そのせいか、指名を受けた方がつっかえたり、間違ったりすると、とた
んにご支援の声が上がるし、一緒に読み出す方まで出てくる。そのうち、指名さ
れた方の声が支援の声に消されたりもする。支援も、1人とは限らない。たいへ
んな熱気である。己の学習の成果を披露したいという、純真な学習態度からくる
ものと思われる。読めない者は黙って聞くしかない。

 私も、そんなご支援の声が出せるほどに勉強せねばと、思いを新たにした。

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猫背 [人間60年]

 いまさら「猫背」と言われてもねえ・・・。

 姿勢と健康を取り上げたテレビ番組を見ていた妻が、「あなたも背筋を伸ば
せば健康で長生きできるのにね」と言う。

 初めて「猫背」と言われたのは、50年も前のことだった。一緒に歩いていた
父が急に言い出した。12歳の私は期待に応えようとそれなりに心がけたが、
間もなく忘れ大人になっていった。

 だいたい、胸を張って反っくり返っている男にいいやつなんて少ないんじゃな
いか? それに比べ猫背の男は、多少陰気かもしれないが、謙虚で優しい男
が多かったような気がする。

 「猫背」は生き方の証でもある。だから、馴染んだ姿勢を通せばいいのだ。

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物忘れの性質 [人間60年]

 60代になって自身の老化を強く自覚するのは「物忘れ」ではないだろうか。

 50代までだったら、探しているうちに見つかることが多く、「なんだ、こんな所
にあったのか」で終わりだった。

 それが、昨年あたりは、トイレの棚の、妻が捨て忘れたロールの芯を見てつ
ぶやいてみる、「自分は、今『ここを出るとき、ロールの芯を持って出よう』と考
えているけど、きっと出るときには忘れるだろう」と。忘却防止のためである。
そして居間にもどって鼻をかんだりしているうちに、ふとそのことを思い出
しては「やはり、おれの思ったとおりだ」と独りごちてみる。

 ところが、最近はさらに進化(進行)した。記憶は、空間に投影された青白い
立体画像のようになることが多く、つかめそうだからと手を伸ばすと消えてしま
う。焦るほどに簡単に消えてしまう。そして、消えればそれっきりだ。

 今思いついたことが、立ち上がったとたん思い出せなくなるなどということは
日常茶飯事になった。しょうがないので「大事な用件だったら、そのうち思い出
すさ」で済ますことにした。

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町内会長日誌:改選 [雑感]

 私が住む250世帯ほど村は、6つの町内から成る。どの町内会も会長選出に
苦労している。なり手がいない。そこで登場したのが「恨みっこなしの1期輪番
制」である。

 我が町内では、年齢順で高い方から回すことにして、今年2期目を迎えた。
会長役が私に回ってきた。これで町内の「~長」という肩書きは3つ目になる。
空き家が増えても役目は減らない。
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ボールペンと手紙 [腹の底]

 「ボールペンを使って手紙を書くのはNGだ!」とは知らなかった。そんなこと
をいつ誰が決めたんだろう。

 そもそもボールペンの発明は、気圧の低い高空の飛行機内で万年筆が使え
なかったのがそのきっかけと聞く。だからそのまま手紙を書くのに使ってもなん
ら問題なしと思っていた。

 いろいろ調べてみると、「特に気にする必要はない」という説もあったが、NG
派がやや優勢な気がする。その理由としては、「鉛筆同様メモ書きが主な用途
だから」ともあった。日ごろ使い慣れたボールペンの書き味は捨てがたい。筆圧、
止め、はね、はらいもそれなりに馴染んでいるから、その心地よさに我が思いを
込めて書く。それを失礼とする理由が私には分からない。

 そこで、ボールペンNG派への反論の根拠を固める必要から、今年の年賀状
は万年筆で書いてみることにした。20年前にいただいたもので久しぶりの使用
だった。

 すぐに感じたのは、質感と重さのバランスだった。使い慣れているボールペン
はすぐに手の一部になって淀みなくペンは走り始めるのだが、万年筆はまずは
書ける状態を保ってやらなければならない。したがって、人差し指に思いのほか
力が入る。しかもインクの乾きは遅く、こすって汚してしまった。
 
 かといって、NG派推奨の筆ペンは肩がこりそうだし、水性ペンは止め、はね、
はらいが技術的に効きにくいし、……。

 用途の割合から道徳的格付けすることの意味がよく分からない。使う人の感覚
にフィットしていればいいのではないか。それを相互に受け入れればうまく収まる
と思うのだが。
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リンゴが降ってくる [言葉の迷路]

 秋田県北部のリンゴの産地、鹿角(かづの)地方。そこの市日にリンゴを買い
に行ったときのこと。

 私「今年のリンゴの出来はどうですか」
 リンゴ屋さん「日照が良くて成長は良かったんだが、台風で少しリンゴが降って
きて…」

『落ちる』とは言わず『降ってくる』と言うらしい。
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古文書入門(1):くずし字 [発見!]

 最近、友人の誘いがきっかけで古文書を勉強し始めた。かつての十和田火
山爆発(西暦915年)による火砕流の被害と、秋田県北部に残る「八郎太郎
伝説」との繋がりに惹かれたからだ。その被害に関する記録が、米代川流域
の隣の町にあり、ほとんど読まれないままに残っているとも聞き、読んでみた
いと思った。

 勉強し始めて分かったこと。
①江戸時代の寺子屋では、手習いの練習はくずし字中心だった。なぜなら、
公文書や実用の書がくずし字だったから。
②くずし字の形と元の字の形が違いすぎると思うことがあるのは、その思い
浮かべた「元の字」が新字体(例えば「旧」や「辞」)だから。つまり、くずし字
は「舊」や「辭」のような、旧漢字(異体字)をくずしたものだったから。
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沖縄の新聞  [発見!]

 沖縄に旅行した知り合いからいただいた土産物を包んだ新聞紙(沖縄タイム
ス 2015年2月28日)がある。24ページは「情報」欄だった。

 各種イベントの他にあったのが、病院の案内である。開業医の広告の他に、
当日の救急当直医という欄があって、そこには、那覇市、南部地区、中部地区、
名護市の20を超える病院の電話番号から、対応可能な科、診療時間が一覧
表になっていた。

 また、左隅には「宮古 伊良部方言辞典」の広告があり、その横には、東日本
大震災の義援金受付の案内もあった。
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オーケストラをバックに歌う [雑感]

 なんて気持ちいいのだろう。

数日前、オーケストラをバックに吉田正さん作曲の歌謡曲をコーラスで歌った。
こんな経験は、一生に一度あるかどうかの体験だと思う。

 曲は「有楽町で逢いましょう~街灯~美しい十代」と続くメドレーだった。歌謡
曲をコーラスで歌うことに少し抵抗はあったのだが、リハーサルで前奏を聞いた
とたん、バイオリンの澄んだもの悲しい音色に、うっとり聴き惚れ、「抵抗」は完
全に消えてしまった。

 頭数が足りないからと声がかかり、オーケストラという雲の上の音楽に憧れた
私は、全体練習2回、仲間内の練習2回、あとは自宅練習を重ね、本番に臨ん
だ。本番では少しトチったが、貴重な経験ができた巡り合わせに心から感謝した。

 ただ、少し困っているのは、気合いを入れすぎたせいか、自分のパートの部分
が、寝ているとき以外はほとんど頭の中で鳴り響いていることだ。

 昨日からは、いつものメンバーで「モルダウ」に挑む。頭の部分だけの練習だっ
たが、やはりコーラスは西洋音楽から生まれたんだなと得心した。

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私も大腸ガンになりまして(7) [人間60年]

   抗ガン剤治療

 退院後半年は、転移、再発予防のため、「ゼローダ」という抗ガン剤を飲み続
けた。

 副作用としては、予告どおり、手足の指先の過敏(皮膚が薄くなったよう)な痛
みがあり、洋服のボタンが留められないときもあった。そして、手の指のささくれ
や、イボ竹を踏んだときのような足の裏のむくみもあった。事前に言われた口内
炎や便通の不調などもなく経過した。たぶん軽い方なのだろう。

 ただ、術後半年たって飲酒の許可が下りた時点で、酒の味が変わったことには
驚いた。あれほど好きだった酒を、舌や口が拒んだのだ。大腸を切ったせいなの
か、抗がん剤のせいなのかはわからない。

 それだったらこの際酒断ちをすればいいようなものだが、頭がアル中なので、
間隔と量を加減しながらさらに半年かけて、ほぼ元の飲んべえに戻すことに成功
した。ただし、毎週一回の休肝日は忘れない限りは守り、免疫力アップのため乳
酸飲料を飲み、コーラスグループに入会してときどき大声を出している。そのおか
げか、術後1年が経過して、腫瘍マーカーは基準値の範囲内(6.0以下。手術直前
の値は13.3)で推移している。

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